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新井は「地獄」という、けがとの闘いを脱した経緯をこう振り返る。
「本当にびっくりするような話なんですけど」。
17年冬に首を痛め、その影響で、春から左腕はまひし続けていた。指先は熱湯の熱さも感じず、練習でやりは「1週間に1本投げられたらいいぐらい」。寝る時でさえも痛みが走った。はり治療、整体など病院を何カ所も回ったが、回復の兆しは一切なかった。
どん底だった同年9月。コーチの「可能性の1%があるならやろう」との言葉を受け、福岡市内にある歯科クリニックへ向かった。そこでは体重計に乗って体のバランスを測定、また指で輪を作り、力の入り方もチェック。一般的な歯科医院のイメージとはかけ離れた診療の後、歯をわずかに削った。かみ合わせを調整。すると「痛みで首が動かない状況で行ったのに、治療をした後は全部動くようになったんです」。何をやっても効果がなかったのがうそのように、光が見えた。
それから他の治療も平行しながら、再度、かみ合わせを治した。ついに18年夏に体の痛みは消える。オフに十分練習できなかったことが響き、昨季の最高は80 メートル 83だったが、今季は冬から体をしっかり鍛え、準備を整えた。3月の記録会では82 メートル 03、4月のアジア選手権は81 メートル 93で銅メダル。本来の力が戻りつつある。
セイコーGGPへ向けては、83 メートル 00の今秋の世界選手権(ドーハ)の参加標準記録は「最低目標」と位置付ける。視線は20年東京五輪の参加標準記録(85 メートル 00)に向く。「そこを投げられれば」。雌伏の時を経て、世界と争える一撃で復活を告げる。【上田悠太】
日刊スポーツ5月17日記事より